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D今年も漬けました

梅仕事一気にご紹介です

素晴らしく大きくて、きれいな南高梅が近くの八百屋さんで見かけたので思わず、2キロを購入しました。
なんともキレイでしょ!
そこで、昨年同様に梅干しを漬け始めました。
う?ん、この亀にはちょっと多かったかなぁ?梅がかなり大きかったね。
梅干用の亀で、そこがしぼんでいるので梅酢が上がりやすいのにも関わらず、今年はカビの出た梅を発見!
焼酎をケチったからかなぁ?
すぐに手当をしました。(かびた梅だけを捨てました。泣)
梅酢がにごっているわけでもないので、そのまま続行!

梅仕事 002

今年の梅干しは真っ赤な、しょっぱい梅干しにしようと考えています。
あの白いご飯の上に赤い梅干し!美しいですからね。何杯もいけそうです。
ご飯が美味しい千葉のことですから、ドンドンいきましょう。

梅仕事 001

昨年小さなSNSで盛り上がった梅干し作りでしたが、その時に教えていただいたのがこの重石。
ビニール袋に水を入れて重さを計り、中蓋の上に置いておくというもの。
今回もこの方法でやりました。
そして、カビが生えたという事と昨年は紅生姜を作るのに梅酢に別に漬けたのですが、今年は、生姜の殺菌力を頼みに一緒に漬けることにしましたよ。

赤紫蘇を充分に塩で揉んで、灰汁を取ってから亀に入れます。

梅仕事 001


梅仕事 002

こんな色になりました。紅生姜の出来上がりです。3日くらいだったでしょうか?
赤くなったのでこれは引き上げました。
そして、今度は赤梅酢を使って新ショウガとみょうがの梅酢漬けを作っています。
新ショウガも、みょうがも軽く塩を振って馴染ませてから赤梅酢に入れますよ。
焼き魚などの時にさっぱりするので、これが重宝しますね。
新ショウガ赤紫蘇が売られている間にこのはじかみ作りは続きます。

そうそう、何も梅干しを作らなくても、赤梅酢は近頃売られているので、これを購入しても作れますよ。

梅仕事 003

今年は梅雨がないような感じだから、日にちは土用までとしておいて梅を干そうと思います。
なるほど、毎年、梅干しを作る気分になるというのはこういう事なのだなぁと季節を楽しみながら、過ごす梅雨もいいものだと思う今日この頃なのです。しかし、今日も蒸し暑いね。

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D全く辞める理由がわからない!

古い産経新聞の記事で恐縮だが

鳩山政権が終わった。
ピノコッペには辞める理由がわからない。なんで?なんで、辞めるの?

ガバナンス能力の欠如だから…。そうだね。統治能力ゼロ!と言いたいところだが…、与党の経験が初めて(?)だから。
いやいや、選挙のためなら何をやってもいいという方法がそもそもの問題だね。
この選挙はそんなに白熱はなかったはずだ。スルリと通るほど民意は"政権交代へ"だったのだから…。10年間、何やっていたんだ!ってつくづく思う。

普天間問題が…ということだが、この問題は簡単でないことははなから分かっていたはずだ。
そもそもこの問題は相当にナイーブ!
だからこそ、今までのこともあるだろうから、自民党ではなく、政権交代と考えた人も多かったはずだ。

また、毎年新年の"日高レポート"を聞いていても全く相手に声が聞こえていないのは明らか…。
ならばである。

沖縄の人たちを裏切れないといって福島女史の弁だが、これも分からない。
それであれば閣内に残って場所を探すべきだろう。アメリカに直談判に行って"心"を伝えつくすべきだろう。
今思えば、何と村山首相の大人のことか!そのことを充分BSフジの番組の中でも言われていたではないか。

社民党の党首であっても、相手は会ってはくれない。
だから、それであれば閣内に残って、する行動はあったはずだ。
全く意味が分からない。
"魔の2歳児"と言われるいやだ、いやだと言い続けるだけ?「テニアンを探してきました」は、あまりにも軍事というものの平坦計画とは関係のない場所を探してきて、探してきたではないかというのなら誰でも出来る。
そのうちに、その手は桑名の焼ハマグリと思ってしまう。

また、安倍元首相の時とは違ってマスコミははるかに優しかった。コメントも論調も…。
特に朝日新聞や毎日新聞は"辞めろ!辞めろ!"の大合唱だったことを考えれば、雲泥の差である。
中川氏の場合と比べても分かるだろう。
なのに??????わからない!

そこで、政権交代直後の佐伯氏の産経新聞に載った記事を思い出した。

産経新聞 【日の蔭(かげ)りの中で】
京都大学教授・佐伯啓思 民主主義進展と政治の低下


2009.9.13 02:55


 先ごろの総選挙での民主党の圧勝を受けて政権交代が実現した。多くの人が画期的な選挙だったという。民主党の政権運営や政策実行に、かなりの不安感をもっている人でさえ、「政権交代」そのものは結構なことだという。何が結構なのかというと、政権交代によって民意が政治に反映されるからだ、という。つまり、民主主義の進展だというのである。

 政治に一家言ある一般人だけではなく、政治学者や政治評論家までがこんな議論をすると、私など、ついあまのじゃく根性を発揮したくなってくるのだ。「で、民主主義が進展すれば政治は良くなるの?」と、つい口がひとりでに動いてしまう。誰もが、民主主義が進展すれば政治は良くなると思っている。逆にいえば、今の日本で政治がうまく作動しないのは、民主主義が機能していないからだ、というわけだ。

 民主主義とは、確かに、民意によって動く政治である。しかし、民意というものが人々の顔に書いてあるわけではないから、政党政治のもとでは、政党が政策を示し、それを「民意」が判断する、という手続きになる。そこで、たとえば、二大政党がそれぞれ政策を提示して、人々に選択権を与えれば、民意が反映されたことになるだろう。かくて、マニフェストによる政策選択が同時に政権選択になる、という理屈がでてくる。

 この理屈に別に間違ったところはない。だが、ひとつ重要なことが隠されている。それは、「民意」は必ずしも「国」のことを考えるわけではない、ということだ。むろん、「民意」とは何か、というやっかいな問題があるが、今はそれは論じないことにしよう。民意とは、さしあたりは、多様な人々の意見や利益を集約したものだとしておこう。仮にそう定義しておいても、民意とは、まずは、人々の「私的」な関心事項の集まりなのである。

 そもそも、近代社会になって民主政治が支配的になった理由を考えてみよう。いうまでもなく、近代社会のもっとも重要な価値は「自由」にある。「自由」といえば崇高に聞こえるが、ありていにいえば、人々は自分のことにしか関心をもたず、勝手に利益を追求してもよい、ということであろう。こういう社会では、人々の多様な「自由」=「勝手」を調整するには民主政治しか手がない。 
だとすれば、「自由・勝手・気まま」から構成される「民意」が、はたして「国」の行く末を冷静に考察した結果だなどとするのはあまりに能天気に過ぎるだろう。人々が関心をもつものは、何よりも、自分の身の安全、安定した生活、利得を得る機会である。要するに、身の安全が確保されれば、後は、物価が安く、給料があがり、ちょっと小銭がかせげればそれでよい。確かに、ずいぶんと人をバカにした話に聞こえるが、実際、それこそが、近代社会の政治的了解だったのではなかろうか。近代国家の役割とは、何よりも、人々の生命の安全確保、生活の安定、社会秩序の維持にこそある、というのが政治学の教えるところなのである。この考えからすれば、「民意」が、国家の大計や国の行く末などという「大きな政治」に関心など持つ方が奇妙なことなのである

 こうなると、二大政党はどうなるか。両党とも、少しでも「民意」の歓心を買おうとするだろう。税金は安い方がよい。さまざまな補助金や手当をつけるのがよい。福祉を手厚くするのがよい。人々の嫌がることはやらず、聞こえの良い公約が並ぶ。かくて、自民党から民主党、共産党にいたるまであらゆる政党が、人々の生活の安定と向上をもっとも重要な争点にする、という事態となったわけである。

 ここで、私はどうしても、最初に、「政治」という観念を、人間の社会的営みの最重要事とみなしたプラトンの意見をのぞいてみたくなる。よく知られているように、プラトンは民主政治に対して懐疑的であった。彼の主張は「哲人政治」といわれるもので、哲学者が政治を行う、あるいは、強力なアドバイザーとなる、というものであった。彼の理屈は簡単である。「政治(ポリティックス)」とは、人々が力を合わせて「善(よ)い国(ポリス)」を作るものである。ところが「善い国」がどのような国であるかを論じることができるのは、ほんのわずかな、りっぱな知識をもった「哲学者」でしかない。大衆は「哲学者」ではありえないのである。

 多くの政治家は、大衆の好みや気質を知っていることをもって「知識」だと思っているが、それは間違っている。人々が「必要としているもの」と「善いもの」は必ずしも一致しない。「人々がほしがっているもの」を与えるのが政治ではないのである。

 「人々がほしがっているものは何か」ではなく、「善い国はどうあるべきか」を政治の基準におく哲学者は、大衆からはもっとも嫌われる、とプラトンはいう。だから、民主政治と哲人政治は容易には相いれないのである。

「民意を反映することこそが政治だ」とする民主主義者の理屈と、「善い国を作ることが政治だ」とするプラトンの理屈のどちらに言い分があるのであろうか。むろん、われわれは、民主主義の枠組みをはずすことはできない。だが、それが、下手をすれば「政治」というもののレベルをかなり引き下げてしまう、という危険を伴っていることは十分に知っておかねばならないのである。(さえき けいし)




まさに50年、100年先を見据えながら現在を語り、今を生きる人から票を得るという矛盾が『政治』なのだろうなぁと思う。
民衆は常に「パンとサーカス」を欲しているのだと為政者はいう。
差し詰め今のサーカスは、マスコミと言う事なのですかねぇ?

そして、周りのアンテナが低すぎたことは否めないね。まさに、徳田氏がいうとおり「手順が違う!」
自分も含めて、やせ我慢の美学が通用する豪胆な大人が少なくなったと思う今日この頃なのだ。
Dプロフィール

まきの しょうこ

Author:まきの しょうこ
http://tunagu-tumugu.com

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