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D重かったぁ?!しかし…

今年も残りわずかになったね

アメリカの金融危機問題から大変な年の瀬になっておられる方々も多い。新年を祝おうという気分にはとてもじゃないがなれそうもないだろう。
しかし、どうか聞いてもらえる人たちに、率直な気持ちや気分でもいい、を打ち明けながら乗り越えて欲しいなぁと祈らずにはいられない。
今回はたくさんの若者も巻き込んでしまっている。大人として、同世代として、先輩として何か出来ることはないのかと考えてしまう。君の傍にはきっと誰かいるよ。誰かが君の言葉を聞こうと、聞きたいと思う人がいるよ。だから、あきらめないでね。

しかしそれにしてもここのところ、この10年余りは金融ショックに振り回されている感が強い。バブル崩壊は20年前の事である。あの時はまだ傷口も浅かったのだろうが、ピノコッペにとっては"エンロン問題"の方がはるかに激震だった。2001年の事である。そして、村上ファンド。あれから何も対策が打てないまま、どんどん傷口が深まっていったといってよい。景気の浮上策として地域紛争を起こす事はますます負の遺産を残すことにつながることももう学んだではないか。そして"富の閉鎖性"が問題をより深刻化していることも学んだ。
セイフティネットと言いながら、何ら対策も打てていない。
ここまで続けば当事者意識がないのは総理の発言だけの問題ではないだろう。
国民あっての官僚、政治そして国ではないのか。

生きてこそ―もう一度、“幸”つかむまで生きてこそ―もう一度、“幸”つかむまで
(2004/10)
野口 誠一

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江戸に学ぼう

ニュースや新聞を見ながら、住むところがないという人々に優先住宅の斡旋があったりするのだが、昔は?と疑問がわいた。せめて、緊急なのだから議員の方々からの5%の給与でもいい、寄付を集めて…。しかし、集めた金をどうするか?どうやって配るか?12000円の給付金ではない。
恐らく「寄付を集めても根本的問題の解決にはならない」という議員や官僚の意見が出てきそうだが、事は初めてではない。すでに予兆としては何度も経験をしてきているではないか。経済大国の破綻は多くの犠牲者が出ること。ましてや、この国は先進国の中でも自殺者の多い国として上がっている。
しかし、ずっとずっと以前からではない。元々この国は資源の少ない、人を大事にする、"おかげさまの精神"に満ち溢れた国だったのだ。
江戸の時代は神社などでこうした人々を受け入れていたではないか。緊急の宿舎であり、旅人の避難場所であったのだ。また四国八十八箇所めぐりの時のお遍路さんに対する手厚い心遣いを思い出した。そんな対応だけでも、この寒空だから対策は打てないものなのかと思ってしまった今日この頃なのだ。

どうか皆さんにとって新年が良い年でありますように…。
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D今年もそろそろ

同窓会&忘年会もそろそろ終了してきた。特に今年の初めに"東京でも今年は同窓会開催を…"って事があったので、幹事として後半はかなり気が重かった。しかし、先日、少人数ながらも何とか終了!ちょっとは気持ちも軽くなった。よかったぁと1人安堵している。
そろそろ年賀状の作成をしないと…。
毎年、必ず銀座のITOYAに材料を買い込みに行くのだが、今年はかなり遅くなってしまった。「え?、わざわざ、銀座まで?」と思われるかもしれないのだが、長年そうしているとどうもそこから抜けられない。不安になるのだ。これも歳のせいかとも思うのだが、習慣とは恐ろしい。期日があるからと焦ってもいるものの…、これでは到底"元旦配達"には間に合いそうもないので、この場を借りて謝っておこうと思う。
材料購入のついでに、遅くまで銀座をうろついていたので、パチリ!
銀座のこのシーズンのシンボル、ミキモトのクリスマスツリー。銀座はあい変わらず華やかで綺麗だった。
サブプライム、リーマンショックから世の中は騒然としているけれど、この明かりにはちょっと癒された感があった。

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武田 信子さんの講演、そして…

社会で子どもを育てる―子育て支援都市トロントの発想 (平凡社新書)社会で子どもを育てる―子育て支援都市トロントの発想 (平凡社新書)
(2002/11)
武田 信子

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地域が変わる社会が変わる 実践コミュニティワーク地域が変わる社会が変わる 実践コミュニティワーク
(2005/12)
ビル リー

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社会問題の取り組みには切り口の問題と『現場』に立って現実社会に向き合う中で、問題の抽出と解決に立ち向かう事が必要だが、とかく矮小化しがちなところをガツンと一発、アタマを小突かれた気がした講習会だった。彼女の子育てから社会を変えるというパワーに圧倒された2時間だった。
"子供を人として尊ぶ"地域社会の中で、良いにつけ悪しきに付け決定的な影響力と存在感を持った大人と出会い、人間同士のぶつかり合いやつきあいの中で育っていない昨今の子供たちの問題点は、長く言われているにも関わらず解決の糸口が見つからずいることなど、社会に向き合う大人としての態度までも指摘されたような気がした。
パワーポイントを使わずにファシリテーションによって進められた講演会だが、このことも学び&気付きに繋がったと思う。近頃はパワーポイントなどの映像で見せられて、資料付ともなると「後で見よう?」と言って見ない。さらに、後で見てわからない。それであれば、何か一つでも「気づき」というお土産をという思いが詰った講演会になった。
また、この講演会で多くのことに"気付き"を与えてくださった他の講演者の皆さんにも感謝の言葉以外ありません。

念願の勉強会に

場と共創場と共創
(2000/05)
清水 博三輪 敬之

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2000年に書かれたこの本をピノコッペは2003年ごろに出遭った。その後長い間、冊子を購読してきたのだが、ようやく念願かなって勉強会に参加する事が出来た。この勉強会も多くの各分野の人たちが関わっている。そして自分たちの分野で何が出来るかを模索する中で、歴史観やそこに存在する"場"を深め、理解しようという勉強会は思いの繋がる人たちとの会話を楽しむ事が出来、実に愉快な時間を持つことになっている。寺島 実朗氏の言葉を借りれば、"重心の低い思索"といって良いのかもしれない。来年も、続けられる限り、続けていこうと思う。

『霧の中を行けば、覚えざるに衣濡れる
良き人と近づけば、覚えざるに良き人となるなり。』(正法眼蔵 道元随分録)
と道元の言葉を思い出した今日この頃なのだ。

D水の文化

久留里に行って…

久留里の酒蔵、天の原酒造さんで友人と試飲をさせてもらっている時に、神棚に八坂神社と熊野神社の御札があることに気付いた。そこで、ご主人に伺ってみるとやはり"京都"の御出身であった。
天皇の仕事はそもそも水を守る事であったのだから、ここ水の名所久留里の水を守るということも京都とのつながりあっておかしくはないとも思った。日本にとって"水は文化"なのだ。
そこで、グーグルさんで調べてみると。ミツカンが"ミツカン水の文化センター"を作って、フォーラムなどを開いていた。
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_14/no14_j01.html

http://www.mizu.gr.jp/event/forum2007/forum2007_d01.html
水利権をめぐって世界が混沌とし始めてもきている。例え石油があったとしても、水がなければ人は生きてはいけない。人だけではない、その地域の動植物にとっても死活問題だ。
豊富な水が現在はあるといって、喜んでばかりいられないようだ。

自然について

宗教と科学の接点宗教と科学の接点
(1986/05)
河合 隼雄

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この本は1986年に初版されているのだが、改めて読んでみた。
河合隼雄氏はこの本の中で、第五章「自然について」ふれていて、この章はピノコッペにとっていつも水を考える時に思い起こされるのだ。
ピノコッペにとっては自然とは対象物としての自然ではなく、『自然の一部に存在している』と感じるからだ。それを明確に説明してくれた本である。
近代になって、西洋の文化に触れて西洋のnatureの概念に接して、これに自然(しぜん)という漢字を当てて呼ぶようになったのだが、本来、日本人の概念とは少し違っていた。それまでは、自然(じねん=ミズカラヲシカル)という捉え方をしていたのだ。
そこには自己と自然存在は一体となっていて、区別されないあいまいなものという概念があった。
例えばこの本の中にも書かれているのだが、宗像 厳氏は水俣問題の中心点として『見えない宗教世界』があって、そこに果たす自然、特に海の役割は計り知れないという。彼は水俣の人たちにとって、人々の魂に深い感動を与える宗教的な意味をおびた対象である。この地に生まれ、長年にわたって海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成しているのである。』と述べている。"聖なる海"としての存在だ。その海が、人々に病と死をもたらしたのである。そこにはチッソという会社が感じている海と漁民が感じている海には自ずと違いがあるのだ。
自然(じねん)の顕われとしての「海」と自然(nature)の一部として「海」を見ている人との間のすれ違いが繰り返されているのだ。
この本は、自然という観点から「子育て」にも言及をされている。このことも非常に興味深かった。


しかし、つくづく学生時代はなまくらで、愚鈍な学生であったが、そんなピノコッペに熱くユング心理学を語ってくれた教授に感謝と思う今日この頃なのだ。

D久留里の水とお酒を訪ねてみました

久留里に行ってきました

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前日は子育てを応援する会の"親子で楽しむクリスマス"イベントを開催しました。今年は開催準備がかなり遅く、一月余りの準備でしたがママさんサークルなどの協力で大盛況でした。何と入場者は500名以上。ちょっと驚き、嬉しい悲鳴です!出演者の皆さんが盛り上げてくださったお陰で、子供たちもノリノリ?!手話ダンスあり、お姉さんと一緒のダンスは子供たちにとって楽しいものなんだと…。出演者の皆様、お疲れ様でした。有難うございました。感謝!
また、出演者が自分のママだと何と振りも10分で覚えて、一緒にコーラスのメンバーに加わったりとかわいい笑顔がたくさん見られて、良かった!楽しかった?!しかし、やはり一日立ちっ放しでかなり疲れてしまいました。トホホでございます。
この日は、早目に就寝して、お友達と一緒に翌日は千葉県の久留里に出かけてきました。
素晴らしい紅葉でしょ!青空をバックにもみじや銀杏が綺麗に色づいて、見事でした。
小さな写真で見てもらうよりもドッド?ンと大きな写真で…。

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久留里は環境省が平成の名水百選に選定したところで、いたるところに湧き水が湧いていて上総掘りの井戸からコンコンと水が湧き出ていました。何とこの井戸も町内に21箇所もあって大量の地下水を自噴させています。ホラ、写真の中に金魚の姿が…。
金魚って結構水が難しいんですよね。元気に泳ぎ回っていて、大きく成長していました。
町のいたるところでペットボトルを持参した方たちがお水を汲んでいました。金物屋さんではこの水汲み用のタンクを販売しているほどです。ピノコッペもお水を汲んで帰ろうかと思ったのですが、目的はこのお水を使って作られた"お酒"。だから、重いのはちょっと…ってことで、今回はやめました。(以前有楽町で開催された富山物産展に出かけた時にお酒を3本も購入したために翌日は二の腕が痛くて…)今度クルマで出かけた時に汲んで帰ろうと思います。

下は個人のお宅(病院)のお庭ですが、綺麗に手入れされて新年を迎える準備に入っていました。竹林もきれい。そこにもみじの赤が入って、秋を満喫できるお庭でした。日本の庭に欠かせない石庭になっています。ちょっと失礼して、写真に収めてきました。
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蔵元を訪ねてみました

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蔵元の様子です。ここから先は杜氏さんのサンクチュアリーです。
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この吉寿さん以外にもたくさんの蔵元があって、この吉寿さんで買ったお酒は"ひやおろし"。9月下旬からの限定のお酒でした。試飲をさせていただいて、これが美味しかったのですが、この蔵元さんの変わったお酒は"竹酒"です。今度はこれを購入してみようと思いました。
そうして、もう一本は天の原酒造さんの純米にごり酒。このお酒も個性的なお酒で、美味しいお酒です。地元の方からこの二つの酒蔵を訪ねたのは大正解との評価をいただきました。

この後、久留里からほんの少し足を伸ばして亀山湖に紅葉を見に行きたかったのですが、久留里線は一時間に一本という電車の為にお昼を食べたりモタモタしていたら乗り遅れてしまい、今度改めて出かけることにしました。亀山湖はピノコッペが憧れのカヌーイストの野田さんの犬、故ガクの生まれたところです。あの場所に行ってカヌーを楽しみたいと、来年こそはぜひ挑戦をしようと思いました。
しかし、行きたいところに行くためには労を惜しまずに、1人でも行く事が必要なのだと感じた今日この頃なのでした。

Dおもろうて、やがて悲しき

多忙人のつらさが…

漫画家というと何だか楽しいことを色々と考えて、楽しそうな職業だなぁって思う人も多いし、才能があるって素晴らしいと感じる人も多いのではないかなぁ?ピノコッペも以前まではそう思っていました。
しかし、この吾妻さん、いけてますね。
だって、ここまで売れっ子作家ってきびしいんだね。これじゃ、欝にもなりますよ。作家として旬の時間がいくら短いと言ってもねぇ。こりゃ、ひどい!こりゃ、かわいそうや!とそう思えるくらい超多忙!その彼が締切りから逃れることに使ったのが、"失踪" この手を使った漫画家の方は多いとか…。
そして、その失踪の間の過ごし方と見つかっちゃうきっかけの事件がおかしい。サバイバル好きにはお薦め?
ちょっと違うかぁ?
失踪日記失踪日記
(2005/03)
吾妻 ひでお

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そろそろ新宿や池袋辺りのホームレスの人たちへの炊き出しのボランティアが活動する季節になったが、都会の冬はこうして過ごさなければ生きていけない。 そこには弱者が弱者として生きるという構図しかないのだ。
また、近頃は若者の"ホームレス狩り"が増えているという。これも格差社会の産物だと放ってよいものではない。(ホームレスの人は事件にされるのをすごく嫌がるのです。そんなところもこの失踪日記には描かれてます。)
実は15年ほど前に若者が寄ってたかって、ホームレスが寝ているところを襲って怪我を負わせる現場に遭遇した事があったのだが、その後も数々の事件が起こったのはニュースでも御存知とは思うのだが、今は更にその当時よりも増えているという。
読んでいるまんが本の著者が、忙しさの余り失踪していたとすれば?「すごいファンだったんです」と言ってきっと缶コーヒーの一杯、いや一本でもおごりたくもなろうというものですよ。だってそれ以前は彼のマンガで癒された時期があったんですから…。その作者が事故にあったり、欝にでもなって自殺なんてことにならずに済んでよかったと思うに違いないと思うが…。

田舎の生活を知っていれば…

ホームレス中学生ホームレス中学生
(2007/08/31)
麒麟・田村裕

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以前、ピノコッペにとって"野草""きのこ"など食べられる自然の植物を利用したお料理本ってないのかしらと思った。もちろん、きのこは特に「食べるな!危険」がたくさんあることは知っている。が、八百屋さんでは見かけない野菜だが、春や秋になると野草摘みなんて子供の頃には山にいってとってくる人がたくさんいた。そんな生活の智慧が都会にはない。生きる智慧が無いのだ。
そんな生きる智慧が、頭だけの知識ではない、そんなものがあれば田村君はきっと田舎に行って身につけてきてくれたに違いないと思えた。そしてそのネタを漫才で聞きたかったのになぁと思う。

明在化した価値だけが経済か?

(前文略)
無視されていくものの中に〈いのち〉があったことがこの大きな危機の真の原因であると思います。たとえば経済活動における人々の信用は、その範囲を明在的に限定できないために、貨幣と交換できないものです。それは信用が個々の〈いのち〉を超える大きな〈いのち〉のはたらきという限定できないものに支えられていることと密接に関係しているからです。

それでは経済的価値がないから切り捨ててよいかと言えば、そうではありません。それは、「多様な〈いのち〉が安定して共存できるためには、それらの〈いのち〉が存在している場が個々の〈いのち〉を超える大きな〈いのち〉に包まれていなければならない」という二重生命原理があり、その原理は、結局、人々の〈いのち〉のはたらきが大きな〈いのち〉に支えられてこそ市場が安定することを意味しているからです。このことは大きな〈いのち〉という目に見えない暗在的な「限定条件」のもとで、明在的な経済的価値がはじめて安定して存在できるということを意味しています。

しかしこのように二重生命的に成立している人の信用の存在価値が金融工学の対象となって証券という形で明在的な交換価値に置き変えられ、そして貨幣と交換される仕組みがつくられて、まるで錬金術のように実態のない「信用」をつくり出して、それを大きくしていけば、当然、信用の空洞化がおきます。その貨幣で買える信用の上に成立している経済には実態がありませんから、一旦、バブルがはじければ、空洞化した信用が大きな〈いのち〉のはたらきに支えられるところまで収縮してしまうのは当然です。

このように二重生命原理が市場の倫理として守られてこそ、信用は信頼できるのです。信用の回復は大きな〈いのち〉に包まれておきる人と人との出会いから始まります。そこで始まるのは〈いのち〉の原理にしたがっておきる人として存在する価値(存在価値)を互いに上げるという活動、すなわち互いに生活を支え合うことによっておきる共存在の深化なのです。 >NPO法人 場の研究所 HPより

つながるとは何かをつくづくと考えさせられる今日この頃なのだ。

DETV特集で

やっぱり楽しい?!

以前このブログでNHK「知るを楽しむ ?こだわり人物伝」の姜 尚中氏の"夏目漱石"のことを取り上げた。(NHKのこのテキストだけでも手に入らないかと考えたのだけどやはり増刷はなかった)先日、ETV特集でこの「こだわり人物伝」を再編集して"夏目漱石"が取り上げられ、これにちなんで、姜氏の新書が発売されたので、読んでみた。
しかし、何度も言うようですが、この番組の企画コンセプトはいいですね。門外漢の人が"こだわる人物"を紹介する。専門家が紹介するとこんな形の漱石像はなかなか出てこないと思うのですよ。そこをググッと掘り下げて…、いいですね。
悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
(2008/05/16)
姜尚中

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時代の速さが

十年一昔と言っていたのが、現代はかなりスピードが上がって十年なんて昔々になっている。
そこで「スローライフを楽しもう」という逆の考え方や田舎生活を楽しもうといった言葉が飛びかうようになった。しばらく前から…。ピノコッペも"ゆっくりも楽しい"と思う1人だ。が、人が生きると言う事にはそれなりのリスクが伴う。金の問題だけではない。そのリスクとは何なのか。
話が変わるが、今年のボジョレーワインはそんなにピリピリ感を感じないが、新酒の絞りたては日本酒もピリピリ感を感じる。浅いこと、若いことはこの場合はいいことではない。(日本酒の場合は熟成と言ってもぜいぜい二週間ぐらいですけどね。ワインの場合は熟成に時間をかけ、その年の酒によっては100年物などという信じられない年数のものがあったりするではありませんか)これが芳醇な時間に耐えた酒として重宝されている一方で、時間はドンドン速くなってきていて…。そしてその次にはそこに価値が付いて"勝ち組""負け組"なんていう訳のわからない話になっている現代という時代!

この"時間"の速さの体感は現代に限ったことではない。
近代に入ったばかりの100年前のマックスウェバーもこのことに触れている。ピノコッペの大好きなミヒャエルエンデも、そして、夏目漱石までもが…。そこに気が付かせてくれたのです。
姜氏のいう現代との付き合い方が、こうした方々が時代を突き抜けて教えてくれた時代との付き合い方がふんだんに盛り込まれた一冊になっている。
キーワードは"孤独"です。

行き過ぎた格差が、そしてつながるとは何か

100年前の産業革命のときにもそんな"孤独""格差"が生まれた。「オリバー ツイスト」に代表される時代の潮流に乗れない人々がいた。それを宗教や科学、国がどうにか支えてきたのが現状だ。しかし、この時代は宗教でもなく、科学、国でもない取り組みが必要とされているのだが…。例えば環境、例えば教育、

「私たちは、グロ?バル化された資本主義にしっかりと足を掴まれて、そのメカニズムに組み込まれて生きています。一方で、一部の人々の間だけでその富を成長させていく、「富の循環の閉鎖性」が最近ますます明瞭になってきました。その結果として、世界的に見ても、国内的に見ても、その循環の中にいるかいないかによって、格差がますます広がり、もう生存競争によって強者だけが生き残るという「強者の理(ことわり)」を覆い隠しておくことができなくなりました。そればかりではありません。このグロ?バル化した資本主義経済は、地球の上での生命の循環を至る所で壊しながら成長を続け、地球の温暖化と砂漠化を急速に進めています。このように未来を食い尽くしながら現在を欲望にとらわれて生きるという「愚かな形」から抜け出す道がなかなか見えないことから、深刻な危機感が人々の心の奥に重く入り込んでいます。

この地球という閉じた空間で生きていくためには、多様な地球の存在者の間でその生死を含めて生命の循環がおきていることが必要です。重要なことは、強者だけで生きていくことができないことに気づき、そして強者であるほど、多くの弱者によって生かされているという事実を受け入れることです。したがって、「愚かな形」から抜け出すためには、強者であると、弱者であるとにかかわらず、弱者に「存在の理」を与える生き方をすることが必要です。つまり地球においてはすべてが「弱者」であり、強者と弱者という考え方自体が矛盾しているのです。このことから、「勝ち抜きの文化」に代わって、強者と弱者という相対的な考え方を越えて、存在者たちが共に存在する「共存在の文化」を創ることが必要になることは明らかです。
(途中略)
この地球において「弱者の理」に生きることは、人間としての主体性を棄てることでは決してありません。主体性のあり方を閉鎖的な形から開かれた形に変えることです。自分自身に内発するはたらきにしたがって、多様な他者と共存在するように生きることが主体的な生き方なのです。」
NPO法人場の研究所 清水 博

少しは目の前が明るくなった気がした今日この頃なのだ。

Dプロフィール

まきの しょうこ

Author:まきの しょうこ
http://tunagu-tumugu.com

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