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D逃げるが卑怯なら、負けるが勝ち!

いじめでまた自殺!

近頃の痛ましいと思う事件の中で、3人の子供が亡くなった飲酒運転の事といじめの事だ。もうすぐ夏休みが終わる時に…、である。ピノコッペはあの今治市の子供が残した遺書を読んで、2つの事が気にかかった。

と言うことで…

「と言うことで自殺をします」ということだ。余りにも若い中学生の子供が使うにしては何と言う言葉だろう。"ということ"が死ということと結びつかないのだ。若いから言葉を選べなかったのか?いや、余りにその前にある「3年間も続いて、あきれています」と言う文に秘められているように傷つき過ぎて、暗澹たる気持ちの中で浮かんできたのだろうか?
若いその子供の持つ生命力のようなものをまるで感じられない。こちらもそんな気持ちになってしまう。こうしたいじめをもう防いだり、自殺する子供の気持ちをやわらげる手助けすることは出来ないのだろうか、大人はいつからそんなに無力になったのだろうかと思う。

勝てばいい

以前"反戦の心"という中で少しだけ触れたのだが、大人の中にあの戦争以来『戦争はもう嫌だ。戦争はいけない』と言いながら競争は過激になっていく。その時に『やるからには勝たなければ…』という先の大戦の教訓からか勝つことのみに意義が認められる。何をしても勝てばいい!こうした風潮が逃げる事の出来ないところに追い詰められると、『自殺』という道を選んでしまうのではないだろうか?だから"あきれた"と言いながら逃げられず、"ということで"という余りにも…と思う言葉を残したのではないかと思う。その上小学校の頃から続いていた問題に学校側は何もせず、そのまま中学に問題を先送りし、親と話し合う事もなく転校もせず、クラスのメンバーは誰一人として変わらず…。これではどれだけの被害者が出ても学校側は何も変わらない。さらにいじめる側も何の傷も持たないだろう。そのまま成長することになり、倫理観のない大人になる。このいじめの問題には、加害者保護が許されるものではない。そこで、いじめを行った生徒たち及び見過ごした教師を実名公開するくらいの制裁が待っているとしたらなくなるのだろうかと思う。転校は逃げる事には当たらない。卑怯ではない。戦わない事も大人の選択としてありうる。充分に周囲を含めた大人たちと検討をする事がきっと彼の気持ちを和らげたであろうと思う今日この頃なのだ。
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Dハンカチ王子

斉藤選手は大変だね

亀田と比べるのは斉藤選手がかわいそうだと思うくらいに真逆な二人が今年の夏の話題かもしれない。亀田があれやこれや言われた時にはピノコッペはばかばかしいって感じだった。何故ならその前の試合だって、明らかに格下で、それに勝ったと言いながらとても反則連発のばかばかしい試合の挙句に、「オヤジオヤジ!」って事を言えば孝行息子のように取り上げられている事も親の前ではいい子で、社会に出たら不良息子って言う構図が見えみえのひどいシナリオだと思っていた。同じシナリオ書くのならもう少しマシなシナリオを書いてやればいいのにって思っていたが、やくみつる氏とオヤジ殿のバトルを見るとその単純さが解る。失語症のオヤジから生まれた息子はオウムのように同じ事をしゃべるようにしかなれないって事?かぁ。その点、夏の終わりに本当に高校生らしい青春の真っ只中にいる"ハンカチ王子"を見たときには涙が溢れた。無論、今の高校生らしい。ニキビやあばたなんかはないし、眉はきれいに揃っているし、男の子の顔がどの子もきれいなのだ。ツルッとしていて、その上汗を袖でぬぐうのではなく、"ハンカチ"!それもタオルハンカチでである。あの三沢対松山商業を真時下に見たピノコッペにとってはとっても、とっても時代を感じた。

違いは家族の形

それにしても、斉藤選手と亀田は余りに違う。もちろん、一人の孤独なリングでの戦いと野球のようなスポーツとは違うって事もあるかも知れないが、あの家族の形まで違う。斉藤選手の兄の姿も必死になって応援するお父さんの姿も余りに違いすぎる。まず、品が違う。言葉も笑顔も…。本人だってインタビューの際に高校生らしい受け答えが出来る。同じ子供の頃から"夢"だったにしてはこうも違うものか?もちろん勝利者インタビューでの受け答えはマニュアル化されていてもおかしくないご時世である。その上あれだけの激投の後でもすごくクールでいられると小憎らしい感じもしないではないが…。八百長なんて話は全然出てこないばかりか、当然次世代を担うヒーローとして"斉藤人気"がヒートアップする。同じお肌つるんでも…、眉毛がきれいでもリング外やグラウンド外のマナーくらいみっちりと教えられるのは家族以外にありえないと思う今日この頃なのだ。

Dおにぎりに合うのは

先日の青唐みそが

ピノコッペはおにぎりが大好きってことは以前にも話したが、友人がそこで手作り青唐みそをくれた。この季節だから安くに出回る「青唐と大葉」を使って作ったもので、ちょっとピリッとしたところがお茶漬けやおにぎりによく合う。その青唐みそがもうない!暑い日に冷たいお茶(ほうじ茶)をかけたり、おにぎりにつけて持っていったり、ともかく美味しかったので、レシピを尋ねた。そのレシピは後にご紹介!

ほうじ茶はいいね

ピノコッペは夏になるとほうじ茶をたくさん飲む。実はウーロン茶が苦手で、ダイエットにいいというのだがあの喉に引っかかるのがいけない。そこで、ほうじ茶を選んでいる。もちろん麦茶もいいのだが、ほうじ茶の方が香りもよくて、その上安上がりだ。茎の多い緑茶を買ってきて自分で焙じたりもするのだが、これがいい消臭剤になってくれる。デパートなどでもお茶屋さんの前を通るといい香りがするでしょう。あれって家でやると強力消臭をしてくれるので、大助かりです。熱がとれるまで休ませてからお茶にして美味し?い。一回で二度美味しい感じがする。それと濃く出して、冷茶にして氷を入れて飲みながら食べるおにぎりは最高!ほうじ茶で炊いたご飯もこの暑い夏には、どういうわけかご飯がさっぱりとしておいしいよ。うなぎやお肉(すき焼き風のもの)などのこってりしたものにもあうし、鉄分の補給にもなるし本来のお茶としてのカテキンも含まれていて夏の必需品です。

子供の頃から大好きなもの

"なめ茸茶漬け"って名前で売っていたり、"なめ茸"って名前で売っていたりするものだけど、これが子供の頃からやたらと好きで、そのためにわざわざお茶漬けにもう一杯おかわりをするくらいだった。だから、冷蔵庫の中には常備2瓶は入っていて、これがあれば"何はなくとも…"だ。これをご飯と混ぜておにぎりにしてもかなりいける。先日、青唐みそをくれた友人にご紹介したところ「美味しかった」と評判がよかった。おかゆの中に入れても美味しいものだから、お腹をこわしている時につけてもらってホクホクと喜んでいた。そこで、今日は手作り物を含めて色々と紹介しちゃいます。


☆ニンニクなめ茸
先に紹介したなめ茸にニンニクが入っているもので、小川の庄と言うところから販売しています。ニンニクの香りとなめ茸、ちょっとミスマッチな感じがするけどおいしいよ。これは炒飯を作る時に入れても味が付いて、その上ニンニクの香りも…、便利です。

☆鶏そぼろ
以前もお弁当の副菜として紹介したけど、これはおかゆにもあうしご飯にもおにぎりにももってこい。その上に春雨と人参、ピーマンなどを炒めたところにこれを入れて、"簡単春雨の炒め物"や薄味で煮た里芋にこれを入れて里芋のそぼろ煮など何でも応用が利くから冷蔵庫に用意しておくと便利品です。

☆大根菜とちりめん炒め
大根の葉っぱとちりめんを炒めた物で、ちりめんがなければシラスでもいい。油で細かく刻んだ大根の葉っぱを炒めて砂糖、醤油、ちりめんを入れる。よ?く大根の水分などを飛ばしてね。(近頃は大根菜って売っているけど、あれは高いしシャキシャキ感がいまいちだからピノコッペは使わない)、捨てるはずの大根の葉っぱが一番。八百屋さん、出来るだけ葉っぱは落とさないでね。

☆椎茸の山椒煮
干し椎茸の小さいものを水に戻して、その椎茸と山椒を砂糖、酒、醤油で煮たもの。丸ごとの椎茸だから何だか贅沢な気分になるし、お茶漬けに美味しい味が付きます。これは干し椎茸を戻す時に大目の水に戻しておくとこの干し椎茸から出た出汁をスープに使うと"簡単中華風"のお味になりますよ。中華には干し椎茸の出汁はかかせません。

☆青唐みそ
青唐は細く輪切りにして、大葉は葉っぱを縦半分に切ってそれを細い千切りにしておく。それをフライパンに油を少し引いて、炒める。青唐は10本、大葉は10枚くらいが目安。色が変わるまでしっかり炒める。火を止め、みそ大匙4と砂糖小さじ2を入れ混ぜ、みりん大匙1でのばしながら火を入れ、更に混ぜ合わせます。味を見ながらのばしていくといいので、みりんは一気にいかない方がいいですよ。味噌などを入れたらともかく細い火でゆっくりとのばしてね。

D黒白

昨日は…

大急ぎで2件も更新したのは、今日必ず小泉君の靖国参拝が行われると思ったからだ。ピノコッペだって"今があるのは過去があるからで、日本人としてこの国を守ろうとしてくださった方々に対して哀悼の意を表すること"は当然の事だと思っている。このことをそうは思わないと言う人間がいるのだろうか?
しかし、それが靖国神社参拝とは思わない。それは、一つに例えば西郷隆盛はあの靖国神社には奉られていない。明治という時代の立役者であるのだが、西南の役という時の政府に対して事件を起こしたからがその理由である。西南の役を考える時に、西郷隆盛が"負けるが…"と考えながら、あの時のあの時代の雰囲気の中で『立ち止まって考えなければならない事』を提示したかったのではないかと考えている。この時に思うのは、『負けることはわかっていてもあえて戦いを挑むことの意味』だ。勝てば何でもよいと言うわけではないと思うからだ。勝てば何でもよいと言うのであれば、弱いものとしか戦わないどこかのチャンピオンと同じだし、最も貧しい国に戦争を仕掛ける国と同じだ。
日本人の中にある"強きをくじき、弱きを助ける"という正義感が持つ高美を目指す志とは大きく食い違う。だからといって、西郷の西南の役を正当化しようというものではない。西南の役は国家に対する反逆罪である事は紛れもない事実であるのだから。

極東軍事裁判について

よく戦勝国が敗戦国を裁いた裁判だから、あれこそ日本人が日本人の手でキチンと裁けなかった問題だと言う人がいる。しかしあのお陰で早期にサンフランシスコ講和条約を締結して占領から独立への道が開かれる事ができたのだと考えると、あの裁判を受け入れる事は必須であった。だから、あの裁判を云々する事はここでは止めようと思う。
ピノコッペが思うのは、その当時(開戦当時)日露戦争に勝っていた日本は戦争に対して"行け!いけ!ドンドン!"の気風が国民の側にもあって、開戦をした。早期に終わると思っていたのだろう。しかし、誤算が生じたのは"盧溝橋事件"の頃で、しかもこのことは一部の軍属による拡大路線への突っ走りであったと言うことだ。このことについてはA級に処せられた東条英機元首相や広田元首相といえども事後承諾の形であったのではないかと言うことだ。だから、その一部の軍属こそが責任者であったと思う事だ。もちろんその上司であった首相に責任がないと言うことではない。だから、彼らは多くの国民に(空襲や原爆などで)死者が出たことについて"自決"の道を選びたかったし、裁判を受ける事で自決の道を選んだと思う。もっと明確な形で彼らが表現が出来る道を与えられていれば、時の閣僚は恐らくそうしただろう。そのことについてもお気の毒だと思う。現に東条は一度そうしている。

二分論

ピノコッペが思うのは、当時の閣僚などだけが責任があって国民の側は被害者だとする見方が、そんな白黒はっきりつける形でいいのかなぁと感じるのだ。ドイツの場合は、あれはヒトラーがやったもので国民は被害者だという形とした。しかしヒトラーだって国民投票で選ばれたことを振り返ってドイツ国民は反省をしている。"あいつらだけが悪いのだ"と言うのは簡単でわかりやすい。でも、その後ろには戦争を望んだ国民やジャーナリズムがあったからこそ、長く誤算続きの戦争になってしまったのではないのかと思う今日この頃なのだ。

D終戦記念日

反戦の心

この時期になるととにかく戦争映画と反戦映画が相次いで放映される。それまでは、人をバンバン殺すハリウッド映画を放映しているにも拘らず、この時期になると打って変わってって感じる。そんなことで反戦の心が育てられるのだろうかと思う。

時代劇が教えてくれるもの

大好きな池波 正太郎の「剣客商売シリーズ」の中の一節に『剣術は突き詰めれば命と命のやり取りですから…』という主人公秋山小兵衛の子息大二郎が語るシーンがある。命と命のやり取りをすることがある意味で容易かった江戸の時代ですらも認められていたのは『あだ討ち』だけである。これも届けが必要で、幕府から認められた者のみという条件が付いている。それ以外はやはり「人殺し」であった。だから、追っ手が迫った。江戸時代だって許しちゃくれなかったのよ。例えば手裏剣や小刀を投げたら、他の関係ない人に当たってしまって殺しちゃったから、ごめんなさいなんて話を聞いたこともない。それよりも、だから飛び道具である手裏剣の使用に関しては各流派共に剣の道を究めた者だけが使用するとして戒めていたのだ。しかし、今は自動小銃やミサイルだから、「当たっちゃった!ゴメン、ゴメン!」がまさか、まかり通るの?
またこのシリーズの中で、ある大身の旗本同士で家来の中の剣豪同士で『御前試合』なるものをしようと言う話が持ち上がる。真剣勝負の上に負けた方は家康公からの拝領の刀を勝った方に渡すという。そこで、両家共に家来までもが"賭け"を始める。これを知った小兵衛親子が両旗本を懲らしめるという話がある。
基本は"命の尊さ"だ。これを充分に認識しなくては、反戦の心なんて育たない。日頃ニュースを賑わしている物騒な事件の数々も毎日のようにバンバン人を殺しちゃうアメリカ映画やマフィア映画なんかを見てた日にはそんなもの何も感じないだろう。
例え小さな命であったとしても"何のために死ぬのか"という問いかけを日々忘れない事が何よりもの教育のあり方だし、一度失ったものは戻らないのだという厳しさを教えなければ、"命や時間のやり取り"は軽んじられる。
だから、15日に靖国神社にお参りに行きながら反戦を訴えようというのであれば、充分に「何故、あんな無謀な戦争へと走ったのか?」という検証を徹底して教えるべきだと思う。そこにはあの日露戦争から続く戦争に対する"傲慢さ"が問われるべきではないかと思う今日この頃だ。

Dた、大変ご無沙汰いたしました

た、大変ご無沙汰いたしました。

ブログの更新がこんなに溜まってしまいました。すみません。どうにか無事にクルマも事故の修理から返ってくる事が出来ました。ご心配をおかけしました。それに以前JAFを呼んだ鍵の一件も解決しました。調子は上々ですよ。よかった。それに夕方突然の雨が多いから、傘は手放せないし、忘れるとびしょ濡れ!こんな心配をしなくてもいいのはやはり、クルマのお陰!うれし?い。

移動の自由

クルマがないときに一番困ったのは移動の自由。日頃クルマを利用して色々な所に行って買い物をしたり、仕事に行ったり、趣味の店に行ったりしていたからこの交通手段を確保する事から始めなくてはいけなかった。例えば、ちょっと離れたスーパーに売っているお気に入りがあったとしてもそこに行く手段がなければあきらめざる得ない。だから、ストレスが溜まる。代用品で済ますしかないから「ちょっと違う!」と思うと途端に『クルマがあったら…』と思ってしまう。バスを乗り継ぎながら行くほどのことはないし、タクシーでなんていう散財も出来ない。すると…。それにこの暑さ。気合を入れて、「出掛けるぞ!」と思うほどスタミナがない。あ?、不便だった。

日頃使わない道を

しかし、いいこともいっぱい見つけた。日頃クルマばかり利用していると大きな道を使うようになるのだが、歩いてみると小道に強くなる。その上に、ちょっとのところを大回りして行っていた事がわかったりする。散歩のつもりでなんてのんきな事は行ってられないほど暑いけど、発見があるのは請け合います。

散歩の時に思い出す歌

ピノコッペにとってどういうわけか、散歩の時に思い出して口ずさんでしまう歌がある。「銀色の道」と「明日がある」いずれも名曲だし、その時代の歌だと感じる。特に「銀色の道」はついつい大きな声で歌いたくなるのが困ってしまう上にこの夏の暑い日には向かない歌なのだけど、ついつい…。

(1) 遠い遠い はるかな道は
  冬の嵐が 吹いてるが
  谷間の春は 花が咲いてる
  ひとり ひとり 今日も一人
  銀色の はるかな道

(2) ひとりひとり はるかな道は
  辛(ツラ)いだろうが 頑張ろう
  苦しい坂も 止まれば下がる
  続く 続く 明日も続く
  銀色の はるかな道

(3) 続く続く はるかな道を
  暗い夜空を 迷わずに
  二人の星よ 照らしておくれ
  近い 近い 夜明けは近い
  銀色の はるかな道

(4) 続く続く はるかな道を
  暗い夜空を 迷わずに
  二人の星よ 照らしておくれ
  近い 近い 夜明けは近い
  銀色の はるかな道

  はるかな道 はるかな道
  はるかな道 はるかな道 (作詞 塚田 茂 作曲宮川 泰)

いい詩でしょう、その上に口ずさみやすいのがいい。こんな元気の出る歌の上に、心がスカッとする歌はもう出てこないのかなぁと思う今日この頃なのだ。

D暑い!

暑い!

ようやく夏が来たって日が続いている。子供の頃は夏が嬉しかったけど…。私の大好きな池波 正太郎の"鬼平犯科帳"の中に、『40歳を過ぎると夏な暑さが年々体に堪えるようになってきた。』という一説がある。本当にそうだとしみじみ感じる。鬼平のように若い頃には剣を学び、ムガイ流の達人として名をはせている人でもそうなのだから、ピノコッペのようにクーラーに甘やかされて、冷蔵庫に頼った生活の上に日頃はクルマを使う事が多い人間には、本当に堪える。そして今年はクルマが先の事故の為にただ今、修理に出されているから日頃歩かないピノコッペにとってこの暑い中を電車に乗ったり、バスに乗ったりしながら歩く事を余儀なくされると途端に体力不足でドッと疲れが出る。買い物に行っても出来るだけ重くならないようにしながら、何回かに分けて買い物をするような工夫が必要になる。
スポーツクラブの中にいるように汗を掻くことを目的にしているのならばいいのだが、そうではないと掻いた汗の後が…。気持ちの悪?い状態が続いてしまい、さらに疲れが溜まるようだ。こんなに弱いとは…。

梅雨明けは大仕事が待っている

梅雨明けに待っている仕事とは、植木の剪定と草取りだ。この時に剪定をしておくと木が元気に大きく育ってくれるし、風通しがよくなって虫が付きにくく、病気の心配もない。だから欠かすことが出来ない。しかし、大きな木の場合には、ノコギリで剪定することになるから亀田のトレーニングのようにインナーマッスルを鍛えるのならばいいのだが、…。その上に片付けとまでなるととても一日では無理!体力が持ちません。一気に筋肉痛&日焼けになった。近頃は剪定した木を街中の空き地であっても燃やそうものなら人が怪訝な顔で飛んでくる。結局、大きな木の枝はもう一度ノコギリで小さくして、ゴミの日に出す事になる。枯れ葉はゴミ袋に入れて出す。益々これでは都会に木がなくなる。枯葉がゴミ?そして、腐葉土をホームセンターに買いにいく?都会の生活は難しいね。土に穴を掘って自然腐葉土にする事が一番いいと思うのだけど!すると、腐葉土からは発酵熱が出るから、根っこにはよくないって言った人がいるけど、少しなら問題ないんだけど、どれくらいの量を想像しているのかなぁ?この言葉を聞いても都会の生活は難しい!と思う今日この頃なのだ。
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まきの しょうこ

Author:まきの しょうこ
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